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東京地方裁判所 平成7年(ワ)105号 判決

原告

山本倶子

外二名

右三名訴訟代理人弁護士

堀裕一

木島昇一郎

被告

川上英明

右訴訟代理人弁護士

犀川季久

主文

一  被告は原告山本倶子に対し、金一二〇五万三六四二円及びこれに対する平成四年九月一五日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告は原告山本泰央及び同山本哲也各自に対し、金六〇二万六八二一円及びこれに対する平成四年九月一五日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

三  原告らのその余の請求を棄却する。

四  訴訟費用はこれを五分し、その二を原告らの、その余を被告の各負担とする。

五  この判決は、原告らの勝訴部分に限り仮に執行することができる。

事実及び理由

第一  請求

一  被告は原告山本倶子(以下「原告倶子」という)に対し、二八九七万五六七四円及びこれに対する平成四年九月一五日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告は原告山本泰央(以下「原告泰央」という)及び同山本哲也(以下「原告哲也」という)それぞれに対し、一四四八万七八三七円及びこれに対する平成四年九月一五日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

一  請求原因

1  当事者

(一) 山本松之助(昭和一〇年一月二日生。以下「松之助」という)は平成四年九月一五日に後記事故により死亡した。原告倶子は松之助の妻であり、原告泰央及び同哲也はその子であり、法定相続分に応じて松之助の権利義務関係を相続した。

(二) 被告は帆船シェヘラザード号(以下「本件ヨット」という)を第三者と共有(共有持分五分の一)しているところ、平成四年九月一五日の後記事故当時右ヨットを操縦していた者である。

2  事故の発生

被告は平成四年九月一五日午後〇時一五分ころ(以下特記しない限りすべて同日中の出来事であり時刻のみで表示する)、本件ヨットに松之助、片桐史子(以下「片桐」という)、萩原正成(以下「正成」という)及び萩原操(以下「操」という。なお、右四名の乗船者を併せて「松之助ら」という)を乗船させて繋留基地の那珂湊マリーナを出航し、午後〇時三〇分ころ茨城県那珂湊市所在の那珂湊港港内と那珂川を連結する水門(以下「水門」という。同港と水門の位置関係の詳細は別紙地図参照)脇から那珂川河口(以下「河口」という)に向けて航行中、河口付近において連続して二つの大波(以下個別には順に「第一、第二波」という)を被った直後、引き返すため反転中に更に三度目の大波(以下「第三波」という)を被り、その際、右ヨットの左舷側後部のスターンハッチ(甲板の一部。本件に関係する船体の部位の名称及び位置関係は別紙本件ヨット船体略図(一)及び(二)参照)上にいた松之助を午後〇時四〇分ころ海中に転落させ、もって同人を死亡させた(午後二時三〇分ころ那珂湊中央病院において死亡を確認。以下「本件転落事故」という)。

3  被告の責任原因

(一) 本件転落事故当日の那珂湊港及び那珂川河口付近の状況等

茨城県那珂湊地方には、午後一〇時ころ台風の影響による波浪注意報(波浪(有義波高)2.5メートル以上のときに発令されるもの。なお、波浪4.0メートル以上の場合には波浪警報が発令される)が出されており、午後〇時ころは那珂湊港及び河口付近へは、高さ約三ないし四メートルの波が次々と押し寄せている状況であった。

(二) 被告の本件ヨットの出航及び操縦判断等の過失

被告は、次の(1)ないし(3)の注意義務を遵守すれば本件転落事故の発生を妨げたにもかかわらず、右注意義務を怠り、本件ヨットの右舷側真横に第三波の直撃を受けて右事故を引き起こしたものである。

(1) 出航判断の誤り

被告は、出航前に波浪注意報を聞き、波、うねりの高さは2.5メートル以上であり、河口及び外洋が時化模様であることが予想される状態であることを認識し、また、那珂川河口付近に高さ三ないし四メートルの巻波が次々と押し寄せている状況を目の当たりにしたにもかかわらず、本件ヨットで右河口から外洋に出航する計画を中止せず、松之助らを乗せて右ヨットを出航させた。

(2) 那珂川を下りそのまま河口を通過して外洋へ出る航路(以下「河口通過航路」という)を選択した判断の誤り

那珂川を下り水門を通過していったん那珂湊港内に入り、同港口から外洋に出る航路(比較的安全な航路である。以下「水門通過航路」という)は当時水門が閉鎖されていたため採ることができなかったところ、被告は舵を握る船長として、水門付近に差し掛かった時点において、那珂川上流からの水流と外洋から押し寄せる波とが合流する河口付近では、特に当時の悪天候も加わって波浪による危険が増大していることを現認したのであるから、右水門の開門を待つかあるいは航行を中止して引き返す判断を下すべき注意義務があったにもかかわらず、右義務に違背して適切な判断を怠り漫然と河口への航路を選択した。

(3) 反転開始時期の遅れ及び危険な場所での反転実施

被告は舵を握る船長として、引き返すために反転を開始するには既に時期を逸し、大波が押し寄せる危険な河口にまで航行してきていたのであるから、波がより低い外洋に出てから反転を実施するなどして乗船者の身の安全を図るべき注意義務があったにもかかわらず右注意義務を怠り、反転に多大な危険を伴う場所において反転を開始したため、反転途中で第三波の直撃を受け、本件転落事故を引き起こした。

(三) 松之助死亡に関わる被告の過失

被告は、次の(1)ないし(3)の注意義務を遵守すれば松之助の死亡結果を回避できたにもかかわらず、右注意義務を怠り同人を死亡させたものである。

(1) 救命胴衣の着用の不指示

被告は乗船者の生命を預かる船長として、松之助らに対し救命胴衣を着用させる注意義務があるにもかかわらず右注意義務を怠り、女性の片桐及び操には救命胴衣の着用を指示したものの当時その場にいなかった松之助及び正成に対しては右指示をせず、松之助に救命胴衣を着用させることを怠った。

したがって、松之助の救命胴衣の不着用の事実は、被告の右注意義務違反を問うべき事由にはなり得ても、松之助の過失を問うべき根拠にはならない。

(2) 松之助の不安定で危険な体勢に対する警告の懈怠

仮に、被告が主張するとおり、松之助の体勢が当時の状況下において転落事故を招来しかねない不安定で危険なものであったとしても、被告は乗船者の身の安全を預かる船長として、常に乗船者の体勢の安全を監視しつつ、乗船者が転落しないように、しゃがむか座るか又は船体部位にしっかりつかまるなどして安全な体勢を取るように指導し、また、安全性が不十分な体勢の乗船者がいる場合には同人にその旨警告して安全な体勢に是正させるべき注意義務を負っていたというべきである。ところが、被告は松之助の右体勢の不安定なことに気付かず又は気付いていたとしても漫然とこれを放置し、何らの警告も発しなかった。

したがって、松之助が不安定な体勢を取っていたという事実は、被告の右注意義務違反を問うべき事由にはなり得ても、松之助の過失を問うべき根拠にはならない。

(3) 救助活動の不適切性

被告は松之助の転落に気付いた直後、本件ヨットを同人の方向に近づけて、救命胴衣を投げ入れる等適切な救助活動をすべきであったのにこれを怠り、本件ヨットと松之助との間には相当程度の距離があったにもかかわらず、漫然と女性の操に対し、救命胴衣及びフェンダー(ウレタン製防舷物(ヨットを岸壁に着岸させる際、船体が直接岸壁にぶつからないようにするクッションのこと)。以下併せて「救命胴衣等」という)を投げ入れるよう指示したにとどまり、救助の適切さを著しく欠いた。

(四) なお、被告は平成六年九月七日本件転落事故につき業務上過失致死罪で罰金四〇万円の略式命令を受け、右命令は確定している。

4  損害

(一) 逸失利益

三六四五万三〇四九円

松之助は死亡当時五七歳であり、呉服販売を業とする株式会社秀粋(以下「秀粋」という)に勤務していたので、同人の逸失利益は、(1)就労可能年数一〇年間とし、死亡前年である平成三年の年収五六五万一四〇〇円から生活費として四〇パーセントを控除し、ライプニッツ方式により中間利息を控除して算出した二六一八万三〇四九円及び(2)定年退職金一〇二七万円の合計三六四五万三〇四九円である。

(二) 慰謝料 二四〇〇万円

松之助は一家の支柱であり、妻子を残して不慮の死を遂げた精神的苦痛を金銭に評価すると二四〇〇万円を下らない。

(三) 葬儀費用 一二〇万円

(四) 弁護士費用

五四三万四三〇〇円

原告らは本訴の提起、追行等本件の解決を弁護士に依頼し、報酬として原告ら請求額の一割相当額を支払う旨約束した。

(五) 損害の填補 七三一万円

原告らは秀粋から松之助の死亡退職金として、平成四年一〇月二三日に七三一万円を受領した。

(六) したがって、松之助の損害総額は五九七七万七三四九円であるので、被告は、原告ら各自に対し前記相続分割合に従い、原告倶子について二九八八万八六七四円(一円未満切捨)、同泰央及び同哲也について各一四九四万四三三七円(右同)の損害賠償義務を負うというべきである。

5  よって、被告は原告らに対し、不法行為に基づく損害賠償として原告倶子について内金二八九七万五六七四円(一円未満切捨)、同泰央及び同哲也について各内金一四四八万七八三七円(右同)及び右各賠償金に対する不法行為の日である平成四年九月一五日から右支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1(当事者)のうち(一)は知らないが、(二)は認める。

2  同2(本件転落事故の発生)のうち事実経緯は認めるが、被告の過失の存在並びに被告の操縦方法等と松之助の転落及び死亡結果の発生との間の因果関係は否認する。

3  同3(被告の責任原因)のうち(一)及び(四)は認め、(二)及び(三)はいずれも否認する。

4  同4(損害)は争う。

三  被告の主張

(一)  原告の主張への反論

(1) 出航判断の不適切性の欠如

波浪注意報とは、気象庁うねり階級表によれば「短く、やや高いうねり(波高2.5メートル以上四メートル未満)」であり「やや波がある」状態ということであり、注意して航行するようにとの注意報ではあっても、船舶の出航自体を制限若しくは禁止するものではない。そして、本件転落事故当時は、強風波浪注意報が発令されていなかったことから明らかなようにほとんど風がない状態であった。

したがって、被告が右注意報の発令を認識しながら、本件ヨットを出航させた判断自体には過失はないというべきである。

(2) 河口航路選択の不適切性の欠如

ア 那珂川から外洋へ出る航路には水門通過航路と河口通過航路とがあるが、ヨットなど小型船舶は水門閉鎖の折(開門時間は午前六時ころまで及び午後一時から午後四時までである)には右河口通過航路を利用することもあり、本件ヨットが採ろうとした河口航路は、禁止航路でも危険水域に指定されている航路でもない。

イ 被告は、午後〇時三〇分ころ閉鎖されていた水門脇付近から見たところ河口付近の波が高いように思われたので、松之助を除くその余の乗船者が乗船回数が少ないためヨットに不慣れであったことから、どのくらいの波があるのかを確認し、河口から外洋へ出るについての危険性の有無を判断するため、安全性に配慮しながら三ノットというゆっくりした速度で那珂川を下り河口付近へと向かったのである。

したがって、右のとおりそのまま外洋へ出ることが可能かどうかの河口付近の状況を確認するための河口へ接近した判断について、被告には何らの過失もないというべきである。

ウ しかも、ヨット乗船経験の豊富な松之助も、被告が水門脇で航路選択をする際、河口付近を見てみようとした被告の判断に対し、何ら異議を唱えず、黙示的に被告の右判断を支持したのであるから、松之助も被告との共同の判断と意思に基づき河口航路を選択したというべきであって、被告に右航路選択の判断の責任を負わせるのは不合理である。

松之助は本件転落事故以前に被告とヨットにしばした乗船し、第一ないし第三波程度の規模の波はしばしば経験していたものであり、また、松之助自身が被告に対し本件ヨットのセーリングを依頼したのであるから、少なくとも松之助との関係においては、被告には河口付近程度の波のある場所へ本件ヨットを航行させるべきではなかったなどという注意義務は発生しない。もっとも、松之助を除くその余の乗船者はヨットへの乗船に不慣れであったため、前記のとおり被告は同人らへの配慮から、河口通過航路を採る際の安全性確認のため、いったん河口付近へ接近したものの、結局危険性を察知し反転して引き返したものである。

(3) 反転実施時期及び場所の選択の不適切性の欠如

ア 反転実施時期及び場所の判断

被告は、松之助一人を乗船させていたのであれば、第一、二波は通常のヨット走行で経験していた範囲内のものとして、エンジン出力を上げ河口を直進して外洋へ出る方法を選択していた。

しかし、松之助を除くその余の乗船者はヨットの乗船経験がなかったため、被告は同人らへの配慮から、まず河口付近の状況を把握するため、慎重に低速で河口付近に向かった。このため、本件ヨットはエンジン出力による推進力が弱く、向かい波の抵抗を排除してまで外洋に出ることは不可能ないし危険を伴う状態であった。そして、風や波が不規則である外洋へ出ることは危険と判断して、外洋へ出ることなく河口付近で引き返したのである。

したがって、被告の右判断に過失はないというべきである。

イ 反転実施上の操縦方法の不適切性の欠如

被告の操縦方法にも過失はない。

本件ヨットは出力を保持しないまま直角に向かい波を受けた場合、完全に推進力を喪失してしまうので、右ヨットのコントロールが不可能になっていたはずであるところ、被告は本件ヨットが推進力を喪失する前に、いったん大きく右に膨らんでから適切な反転を開始し、このため右ヨットは推進力を喪失することなく、したがって操縦不能に陥ることなく反転を完了できたのである。

したがって、被告の反転の判断及びその操縦方法にも過失はないというべきである。

(二)  因果関係の不存在、過失相殺等

被告に何ら過失のないことは前記のとおりであるところ、かえって、松之助にこそ多大な過失があり、これが本件転落事故及び死亡結果の発生に一方的に寄与しているというべきであって、被告の出航判断及び操縦方法と本件転落事故及び松之助の死亡結果との間には因果関係がないというべきである。この点からも、被告には原告らに対する損害賠償義務を負う理由のないことが明らかである。以下に詳述する。

(1) 松之助の本件ヨット航行上における地位

ア ヨット乗船経験の豊富さ

松之助は本件ヨット等にしばしば被告と共に乗船しており、特に本件ヨットにも十数回の乗船経験があり、また、乗船した際には、松之助がヨットの舵を握りエンジン走(セールを張らず船内機を利用する航行方法のこと)を行ったこともあるし、セールを上げ被告とセール操作を共同で行いつつ帆走したこともあるなど、ヨットの操縦に関する知識と経験を相当程度有していた。

イ 本件転落事故当日の立場

外洋に出るまでは被告が一人で舵を取り操縦していたが、外洋に出てセールを張る際及び帆走の際には、被告と松之助は共同作業を行う予定になっており、いわば同人は本件ヨットにクルー(ヨットを操縦する乗組員)として乗船していた。

(2) 本件転落事故発生原因としての松之助の過失

ア 体勢の不適切性

松之助は本件ヨットに乗船中左舷側後部スターンハッチに位置していたところ、第一、二波を被った直後、第三波が前方から押し寄せてくるのを認識していたのであるから、当然右スターンハッチ上に座るか、しゃがむかして、スターンパルピット(後部手すりのこと。直径二センチメートルの金属製パイプからなり、二段となっている。スターンハッチから上端のパイプまでの高さは五五センチメートル、上から二段目のパイプまでの高さは二八センチメートルある)につかまり体を支え、自らの身の安全を確保すべき義務があった。

すなわち、ヨットはその性質ないし構造上本来風を受けて相当程度傾きながら走行するものであるから、乗船者としては、左右上下の動揺を当然予期し、右に備え、海中に転落しないように体勢を整えておく義務があるというべきであり、更に被告が第二波を受けた直後に松之助らに対し「しっかりつかまって」と叫んで危険を察知させ身の安全の確保を呼びかけた状況下にあっては、右(1)のとおりヨットの乗船経験豊富な松之助は、本件ヨットの動揺を予期し、右に備えて安全な体勢を保持すべき義務を負っていたというべきである。

そして、右行動を取っていれば本件転落事故を回避できたにもかかわらず(ちなみに、松之助を除く他の乗船者、すなわちヨット乗船初体験者である片桐並びにわずかなヨット乗船経験しかない正成及び操は、本件ヨットが第一、二波を受けたときにはいずれも甲板上に座り、ロープ若しくはスターンパルピットにつかまった体勢で体を支え、また、第三波を受けても右体勢を崩さなかったところ、いずれも右ヨットから転落していない)、松之助は第三波が押し寄せる直前まで右行動に出ず、無謀にもスターンハッチ上に直立してバックステイアジャスターを握り前方を見据えたままという不適切な体勢でいたため、第三波により本件ヨットが左舷側に大きく傾いて右波の圧力を受けた際若しくはその直後に右舷側に傾いて水平に戻る復原過程の際(第三波による本件ヨットの右動揺を以下「本件ローリング」という)、自らの体勢を維持できずに、海中に転落したのである。

他方、被告としては、当時前方を見据え、第一、二波を受けてこれ以上の危険を回避すべく反転操作に全力を集中して舵を取っていたのであるから、被告の後方にいる松之助の動静を監視して個別に波への注意を促すとともに、後部手すりにつかまるように注意するなどの法的義務までは負っていないというべきである。

イ 本件転落事故と被告の操縦方法等との因果関係の欠如

本件ローリングは、被告の操縦方法いかんにかかわらない海からの波(第三波)の襲来が原因で生じたものであり、被告にとっては不可抗力であった。

したがって、本件転落事故は、専ら松之助の無謀ともいうべき右体勢と不可抗力の本件ローリングが相まって生じたものであって、被告の操縦方法等とは因果関係がない。

(3) 死亡結果発生原因としての松之助の過失

ア 救命胴衣の不着用

① 被告は出航に際し救命胴衣の収納庫を開け、松之助らに対し、その着用を指示したにもかかわらず、松之助は同人の同伴者である片桐に対しては救命胴衣を着用させたが、同人自身は着用しなかった。

松之助が救命胴衣を着用していれば、本件転落事故に遭遇しても死亡にまで至る結果の発生は回避できた可能性があるところ、同人は自らの判断で救命胴衣を着用しなかったのであるから、右不着用により生じた死亡結果については同人自身が責を負うべきである。

② 被告は、当日収納庫に乗船者数以上の救命胴衣を搭載しており(救命胴衣の搭載義務につき小型船舶安全規則六一条参照)、また、松之助に対して右着用を指示したのであるからその果たすべき義務は尽くしており、右以上に同人に是が非でも救命胴衣を着用させる義務までは負っていない。これは着用義務までは法律又は規則に規定されていないことからも明らかである。

イ テトラポットに向けて泳いだこと

テトラポットには波が強く打ち寄せるため、その付近は危険であるから、海中に転落した場合、転落者はテトラポットに向かうのではなく、反対側の浅瀬に向かって泳いで避難すべきところ、松之助は非常識にもテトラポットに向けて泳いだために溺死したものであり、仮に反対側の浅瀬に向かって泳いでいれば、水温が二〇度以上はあったこともあり死亡の結果は回避できた可能性が高いというべきである。

ウ 被告の取った救助活動の最善性

松之助に右のような過失があるのに対し、被告は海中に転落した松之助を発見すると直ちに操に指示して救命胴衣等を海中に投げ入れさせた。右救命胴衣等と松之助との距離は約二〇ないし三〇メートル余りであったのであるから、同人は右救命胴衣等に向かって泳げば死亡しなかった可能性があるところ、同人は右救命胴衣等に気付かず、テトラポットに向かって泳いだ。

被告が本件ヨットで松之助の救助に向かうことは、右ヨットをテトラポットに打ち付けられる危険にさらすことであり、かえってその余の乗船者の身の危険を招来する行為であったので、右救助方法を採ることは断念せざるを得なかった。

そこで、右救命胴衣等を投入するとすぐに本件ヨットを水門付近の海上保安庁に向け救助を求めたのであり、被告は当時の状況の下では最善の救助活動を行ったというべきである。

(三)  過失相殺

仮に被告に本件ヨットの航行につき過失及び本件転落事故発生との因果関係が認められるとしても、松之助にも右事故につき前記(二)のとおり過失があるのであるから、相当の過失相殺がされるべきである。

第三  裁判所の判断

一  請求原因1(当事者)の(二)、同2(本件転落事故の発生)の事実経緯及び同3(被告の責任原因)の(一)及び(四)の各事実は当事者間に争いがなく、同1の(一)の事実は証拠(甲三及び四)並びに弁論の全趣旨によりこれを認めることができる。

二  そこで、請求原因2のうち被告の操縦方法等と松之助の転落及び死亡結果の発生との間の因果関係及び同3の(二)(本件転落事故発生に関わる被告の過失)、(三)(松之助死亡結果発生に関わる被告の過失)について順次判断する。

1  前記争いのない事実に証拠(甲五ないし二一、二四の1ないし5、乙一の1ないし7、六、証人佐藤喜代志及び証人萩原操(以下「証人佐藤」「証人操」という)、被告本人)によれば、以下の事実が認められ、他にこれを覆すに足りる証拠はない。

(一) 本件転落事故発生当時の気象状況及び事故現場の状況

本件転落事故当日、那珂湊港及び那珂川付近一帯には波浪注意報が発令されており、右注意報では波、うねり二ないし三メートルの波があると警告が出されていたが、本件転落事故当時の那珂川の河口付近は外洋からの波が波高約三ないし四メートルの巻波となって次々と押し寄せている状況であった。このような状況下で河口から外洋へ出ることは、海難事故の防止、救助等に当たっている海上保安庁の職員の経験上からも通常考えられない危険かつ無謀な行為であり、あえて河口付近に接近すれば転覆事故等の海難事故が生じても何ら不思議はない状況であった。ちなみに、本件ヨットが水門付近で追い抜いた一隻のヨット(川崎洋介操縦のブーゲンブリア号)は河口通過航路を避け、水門の開くのを待っていた。

(二) 本件転落事故発生に至る経緯

(1) 被告は午後〇時一五分ころ、本件ヨット(長さ7.13メートル、幅2.19メートル、深さ1.41メートルの規模で、ディーゼル機関である船内機三馬力一基を搭載し最高速度五ノットの性能を有する)に松之助らを乗船させ、自らは右ヨットの右舷側後部に位置するコックピットで同船を操縦して那珂川に設置されている同船の繋留基地である那珂湊マリーナを出航し、同川を下って水門に向かった。被告は予め天気予報により台風の影響で波浪注意報が出されていることを知っていたが、水門の開門時間が午後一時から四時までの間であるために右出航時の時間帯は閉鎖中であったことから、河口通過航路を採ることを念頭に置いて出航した。

出航時は、北東の風四ないし五メートル程度あったため、セールを張らず船内機を利用するエンジン走で時速四ノットで航行した。水温は二〇度以上であった。

被告は午後〇時三〇分ころ、本件ヨットを操縦して水門付近に差し掛かったところ、同所から河口付近が波高三ないし四メートルの巻波の押し寄せる荒れた状況であることを現認した。そこで、被告は水門通過航路に変更することを考え、約五分ほど水門付近を蛇行して時間を調整していたが、開門時刻までなお三〇分程度待機しなければならなかったことから、河口通過に支障がないものかどうか河口付近に接近して状況を確認し、その結果外洋へ出るのが危険であれば引き返して水門が開くのを待って水門通過航路を採ればよいと判断し、午後〇時三五分ころ、安全性に配慮しながら川の流れに乗って河口へ向けてゆっくりと三ノットの速度で走行を開始した。右判断については、被告と松之助らの間で特に相談されたものではなく被告の独断であり、松之助らはこれに対し特に反対もせず被告の判断に従った。

(2)ア 本件ヨットは水門脇から那珂川河口へ向けて約三分程度かけて約五〇〇メートル下って河口付近に差し掛かったところ、午後〇時三八分ころ、まず波高四メートルの第一波の襲来を正船首方向から受け、船体が波頭を超えて波の谷間に落ちたときに船首部が約一メートルほど水中に没した。このため、被告は危険を感じ直ちに引き返す決断をした。しかし、第一波の襲来に引き続いて、約一五ないし二〇メートル先に第二波が押し寄せてきているのが認められたため、この時点で反転を開始した場合には船体真横に第二波を受け、転覆する危険があると危惧し、波間の水面が平たんになる状態を待って反転を開始しようと決断し、右時点での反転開始を見送った。第二波は第一波の約一〇秒後に右ヨットに押し寄せた。

イ 第二波の波頭に船体が持ち上げられた際、それまで押し寄せる波に正対していた右ヨットの船首部は波の圧力で押し流され右に約四五度開いた状態になった。被告は右状態のままではその先に浅瀬があり危険であると判断して左に約四五度舵を切ったところ、キール(船体の横流れを防止するとともに船体に復原力をつける目的で船底に設置されている突起状のもの)が川底の石様のものに接したらしく、ヨットの行足が急に弱まった。そこで、右程度の低速進行では反転は不可能であると判断した被告は、直ちに、三ノットの位置の増減速レバーを前進全速(五ノット)の位置に移行させて増速を図ったところ、数秒後にヨットは舵が効き始め左に回頭を開始した。

ところで、第二波を受けた直後、被告は乗船者に対し「しっかりつかまって」と叫んで警告を発し、他方、被告の左側斜め後方に位置するバックステイアジャスター(ロープ)を握り直立していた松之助は、前方に第三波が押し寄せてくるのを認め「大きい波が来るぞ」と叫んで他の三名の乗船者に対し注意を促した。

ウ 被告は、第二波と第三波との間隔が約四〇ないし五〇メートル程度あった上に、第二波通過後水面が平たんになったことから、第三波がヨットに到達する前に反転を完了できるものと判断し、前記イの左旋回の進路をそのまま取って左に回頭し続けた。

ところが、被告の予測に反し、第三波は本件ヨットの反転完了前に押し寄せてきたため、被告は船体を波の来る方向に立て直そうとして、急いで右舵四五度に取ったが、波の来襲速度の方が速く、船体を立て直すよりも先に、河口の那珂湊港南防波堤と導水堤の角付近において右ヨットの右舷側ほぼ真横に第三波の直撃を受けた。

第三波は、第二波よりも大きく、約四ないし五メートルの波高があり、その波頭が船体上に直撃する事態には至らなかったものの、反転中の本件ヨットは第三波の波頭を右舷側ほぼ真横に被り左舷側に約六〇度傾斜しながら急激に持ち上げられスクリューを水面上に出し左舷側後部を水中に没した状態のままで、波が行き過ぎるまでの約五秒間、約二〇メートルくらい川上側に波の圧力で押し戻され、その直後に今度は勢いよく復原する過程で右舷側に約三〇度傾き、その後ようやく船体は傾斜を立て直し安定した(以上が本件ローリングの状況である)。そして空転していたスクリューが海中に没したところで右ヨットは走り出して再び左側に回頭し、導水堤外側にあるテトラポットからわずか五、六メートル離れた水域を通過して、船首部が川上に向き、もって反転が完了した。

(3) その直後、正成が本件ヨットの左舷側後部にいたはずの松之助がいないことに気付き、他の乗船者全員で水面にその姿を探したところ、松之助はヨットから約二〇ないし三〇メートルの右斜め後方で、右テトラポットから約一五メートルの辺りを、右テトラポットに向かって泳いでいるのが発見された。

なお、本件ヨットの他の乗船者は誰一人松之助の転落する瞬間を目撃していなかったが、右ヨットの右舷側後部(コックピットの後部)にいた操は、本件ローリングの過程で誰かにぶつかられたような衝撃を受けている。

(4) 被告はこれまで何度も河口通過航路を走行して外洋に出た経験を有していたが、それはいずれも彼が穏やかなときであり、本件転落事故当日のように大波が押し寄せている状況下で右航路を利用したことは一度もなかった。また、本件ヨットの三ノット程度のエンジン出力で第三波のような波高四ないし五メートルの巻波の襲来を乗り切り、河口を突っ切って外洋に出ることは、ヨットの性能上からも、また、被告の操船技術の上からも不可能なことと被告には判断された。

(三) 本件転落事故発生から松之助の救助に至る経緯

(1) 被告は水中に転落しテトラポットに向かって泳いでいた松之助を発見するや、左舷側にいた片桐に対して同人が着用していた救命胴衣を脱いで松之助に向けて投げ入れるよう指示したところ、右指示を受けた片桐は松之助の位置により近い右舷側後部にいた操に対し右救命胴衣を渡し、同人がこれを水中へ投げ入れるとともに、続けてフェンダーも投げ入れた。しかし、右救命胴衣等と松之助との距離は約二〇ないし三〇メートル余りあり、本件ヨットに背を向ける形でテトラポットに向かって泳いでいた同人は投げ込まれた右救命胴衣等に気付かず、そのままテトラポットに向かって泳ぎ続けた。

被告は右の様子をみて、本件ヨットで松之助の救助に向かうことを数度試みたものの、大波のため、船体の動揺が激しく、右ヨットの転覆あるいはテトラポットに打ち付けられることによる二次災害発生の危険が高く、また、その危険を指摘する正成からの制止もあったため、残された乗船者の生命、身体の安全を図るためにやむなく右ヨットで接近して救助することを断念して全速力で水門へ向かい、そこで海上保安庁職員に救助を求めた。

(2) 那珂湊海上保安部所属の海上保安官佐藤喜代志(以下「佐藤」という)は、那珂湊港港内の水門付近の岸壁上から偶々河口に向かう本件ヨットを目に止め、その航行に危険を感じたため、右ヨットが水門付近から河口に下って行く様子をつぶさに観察していた。そして、本件転落事故の発生に気付くや(転落そのものは目撃していない)直ちに事故現場付近の岸壁に駆けつけ、午後〇時五五分ころ松之助に向けて救命浮環を投げ入れた。松之助は自らこれをつかんで引き寄せて体を通したものの、そこで力尽きたのか、テトラポットに接近するのは危険だから離れるようにとの佐藤の警告にもかかわらず、これに反応することなくそのまま海中に漂ったままでいたところ、相次いでジェットマリン(水上スクーター)で救助に駆けつけた石井雄次(以下「石井」という)及び安藤政孝(以下「安藤」という)により午後一時三二分ころ海中から引き上げられて救助され那珂湊中央病院に運ばれた。

なお、石井も安藤もモーターボートによる救助は遭難場所の状況から危険と判断し、ジェットマリンで救助に赴いたものである。

(四) 救助時点以降の松之助の容態及び死亡原因

最初にジェットマリンで松之助の救助に駆けつけた石井は、救命浮環から抜け落ちそうな松之助を抱き抱え、安藤が来るまで波間に漂っていたが、その間、石井も松之助も何度も波を被り、右ジェットマリンも大きな波を受けて転覆した。また、このとき石井は松之助の頬を何度か叩き、声をかけていたが、松之助は既に反応しなくなっていた。

次いで駆けつけた安藤は、松之助を救命浮環ごと引きずる方法により救助することは同人の状態を見て無理だと判断し、石井と協力し、午後一時三三分ころ安藤のジェットマリン後部座席に松之助を引き上げた。この間松之助はぐったりとしており声も出さず、呼吸をしている様子もなく、体温も低下している状態であった。

安藤から松之助を引き取って収容した船(光栄丸)においても、既に同人は呼吸をしておらず意識もなく、目はトロンとしており、口は半開きの状態を呈しており、同船の乗組員が松之助に人工呼吸を試みたが、同人は水と泡を吹き出したのみで意識と呼吸は回復せず、収容先の前記病院で死亡が確認された。

なお、松之助の遺体は解剖されておらず、同人の死亡原因は不明である。

2  被告の過失と本件転落事故との因果関係について

以上の認定事実に基づき被告の過失と本件転落事故との因果関係について判断する。

(一) まず、松之助は本件ローリングの最終過程で本件ヨットが急激な復原運動(以下「本件復原運動」という)を起こした際自己の身体を保持し切れずに反対側に放り出され、右舷側の後部で船体にしがみついていた操に当たってそのまま船外に放り出されたものと推測される。松之助の転落の瞬間を目撃した者がいないのは前記認定のとおりであるが、右ヨットの復原前後の予期しない激しい動揺及びこれによってもたらされた不可予測的な力学的作用(第三波により発生する衝撃量、方向、速度等の変化)を考えると、同人の転落の機序については右のように推測するのが合理的と思われる。

また、前記認定事実によれば、転落後の松之助は、不意を突かれて水中に投げ出された上に押し寄せる海流に揉まれ、身体の自由も効かず、呼吸もできないままに大量の水を飲むなどして一挙に体力を消耗し、水面に浮かび上がったものの、動転して判断力を失っており、そうでなければ当然に避けたであろう大波の打ち砕けるテトラポットを目指して泳ぎ出したが、衣服を着用していたこともあって泳ぎもままならない上に急激な体力の消耗から、投ぜられた救命浮環に身体を通したところで力尽き、水上を漂うに至り、石井及び安藤に助け上げられるまでの間も何度も波を被り、一層体力を喪失して衰弱し、救助後の救命措置も空しく死亡するに至ったものと推認される。

(二) 他方、前記認定の本件ローリングの経緯によれば、被告は第一波の襲来を受けた時点以降はもはや本件ローリングから脱する操縦をすることは本件ヨットの性能及び被告の操縦能力に照らして不可能であったのであり、したがって、本件復原運動を回避することも不可能であったというほかない。

すると、被告が本件ローリングないし本件復原運動を避けるためには、第一波の襲来を受ける前に反転して戻らなければならなかったのである。

(三)  右(一)、(二)の考察によれば、被告は本件ヨットの操縦者(船長)として松之助を含めた乗船者の生命、身体の安全を保持すべき責任があったというべきところ、本件転落事故当時のように高波の押し寄せる那珂川河口を通過した経験はなく、また、洋上においては本件ローリング時程度の波は何度も経験しており、ヨットの性能上何ら危険のないものであったとしても、右河口は水深や四囲の環境(テトラポットを積み上げた岸壁ないし導水堤が迫っている)が洋上とは異なる上、波自体も那珂川の水流と打ち寄せる海流とがぶつかり合い巻波となって次々と襲来しているというものであって、洋上とは異なっており、河口でのかかる波の速度やこれに巻き込まれた場合に時速三ノット程度で走行する船体が受ける前記認定の力学的作用及びこれにより船体の陥る状況については全く未知のことであったのであるから、本件転落事故のような不測の事態の発生することに思いを致し、第一波の襲来を受ける前に反転して引き返すべき注意義務があったのに、これに違背し、漫然と本件ヨットを進め、第一波の襲来を受けて本件ローリングに巻込まれ、本件復原運動の際松之助を転落させ、死亡に至らしめたというべきである。

なお、被告は松之助が本件ヨットのクルーであり、被告と同等の立場にあったとして免責の主張をするが、松之助はある程度のヨット経験を有していたとはいえ、前記状況の下ではその立場は操縦者(船長)である被告と同等の立場とは認め難く、被告の右主張は理由がなく、失当というべきである。

右のとおり、被告には本件転落事故の発生につき、本件ヨット操縦方法ないしその判断上の過失を認めるのが相当であるというべきである。

(四) 以上に検討したほか、原告らは被告の過失として救命胴衣着用の不指示、松之助の危険な体勢に対する警告の懈怠及び救助活動の不適切性を指摘するので、以下に検討する。

(1) まず、救命胴衣着用の不指示をいう点は、被告が救命胴衣を着用していない松之助に対し、これを着用するよう指示していないことは被告も自認しているところであるが(甲九、乙六、被告本人)、松之助は既に相当のヨット経験を有しており、自らその着用の判断をすることができたのであり、同人に対して改めて被告がその着用を指示すべき注意義務があったものとまでは認め難い。

なお、後に触れるように、本件ヨット搭載の救命胴衣の機能には限度があることからすると、右着用指示を独立の過失とすることには疑問が残るといわざるを得ない。

(2) 次に、松之助の体勢に関して過失をいう点は、同人の前記ヨット経験に照らし、同人自身にゆだねられた安全確保義務というべきであって、理由がない。

(3) 最後に、被告の救助方法の不適切性(救助活動の遅れ)をいう点であるが、前記認定事実に証拠(甲一六ないし二〇)によれば、松之助の転落場所の状況として、松之助の救助活動にジェットマリンで駆けつけた石井及び安藤はいずれも河口付近に接近するのに、身の危険を感じながら転覆の危険を必死で回避しつつ松之助に近づいたこと、特に那珂湊マリーンでハーバーマスターとして右マリーンに所属するヨット等の委託管理を行っている安藤はいったんモーターボートにより松之助の救助に向かい水門にまで至ったものの、そこから河口付近に波が次々と押し寄せている状況を望見し、モーターボートでは松之助の転落現場まで近づくことは危険であると判断し急ぎ引き返して、ジェットマリンに乗り換えて松之助の転落現場に向かっていること、ジェットマリンでも次々と押し寄せる波に巻き込まれれば転覆してしまう状況にあったため、安藤は所要時間約一〇秒ほどで急ぎ松之助の救助活動を行ったこと、安藤は本件ヨットが同人のマリーナに所属していたため救助に向かったが、そうでなければ危険であり怖くて救助に赴いたかどうか疑問であると述べていること、付近にいた漁船も二次災害の危険があることから松之助に接近して直接救助活動をすることは避けたことなどが認められ、右認定事実に加え、船舶による救助方法は、場所が狭く、大波が砕け散るテトラポットの付近では船舶自体に危険が生じるためまず不可能であり、ヘリコプターによる救助活動が最適であると石井及び安藤が供述していること(甲一六、二〇)を併せ考慮すれば、河口付近がいかに危険な状況であったかを推察することができ、被告が本件ヨットで松之助への救助に向かうことを断念したことはやむを得ない行動であったというべきであるから、被告の救助活動に関して過失を問うことはできないと解するのが合理的な考察というべきであり、原告らの右過失の主張は理由がなく、失当である。

3  被告の反論について

(一) 被告は、松之助の転落防止体勢の不十分さが本件転落事故の直接原因であると主張し、被告の過失との因果関係を否定する。

そこで検討するのに、前記認定事実に証拠(甲一四、証人佐藤)によれば、第一ないし第三波を受けたときの松之助の体勢は、第三波を受ける直前まではマストを支えるバックステイアジャスターにつかまり、両足を広げ仁王立ちであったが、第三波を受ける直前に「大きい波が来るぞ」と叫んでいること、第三波による動揺はヨットに慣れた者でも直立してはいられないほどであったこと、松之助を除くその余の乗船者は甲板上に座りロープや手すりを握りしめて体勢を保持していたこと等を考慮すれば、松之助は第三波を受ける直前で自らの危険性を察知し、本件ヨットの甲板上にしゃがむか又は後部手すりを握るなどして身体を支える行動を取り身構えたものと推認するのが合理的であるというべきである。

被告はこの点について、松之助が水に浸かるのを嫌がって左舷後部から右舷後部へ立って移動した旨供述しているが、これを明確に視認していたわけではないし、そもそも前記認定の第三波直撃による左舷側への六〇度傾斜という事態からすると右襲来後には右移動は不可能なことは自明であるし、右襲来前ということになると、ヨットは左旋回すべく走行していたのであるからわざわざ波の来る右舷側へ移動するというのも不合理なことであり、いずれにしても、被告の右供述は合理性を欠き信用できない。

むしろ、前記認定の本件復原運動の前後の経緯に照らすと、松之助は第三波襲来直前にはスターンハッチ上に座って右のとおり身構えていたが前記認定のように第三波の襲来とその後の本件復原運動時の予測を超えた力学的作用のため本件転落事故に至ったものと推認するのが合理性が高いものというべきであり、松之助の体勢に不十分な点があったとしても(過失相殺の点で後述する)、これをもって前記被告の過失との間の因果関係を否定することはできないというべきである。

(二) また被告は、死亡結果にまで至ったことについて松之助の救命胴衣の不着用及びテトラポットへ向けて泳いだ避難方法を主張している。

しかし、松之助が救命胴衣を着用していなかったことは当事者間に争いがないものの、後述するように、本件ヨット搭載の救命胴衣の機能には限界があり、また、当時の河口付近の状況で、しかも、救助までに約一時間を要したことに照らすと、救命胴衣の着用により救命し死亡を回避できたとまではいえないのであり(甲一〇、証人佐藤、被告本人)、松之助の死亡を専ら救命胴衣の不着用に求めることは合理的根拠を欠くというべきである。

また、松之助がテトラポットに向けて泳いだ避難方法についても、前記認定の転落後の同人の状態に照らすと、これをもって被告の責任を排斥する事由とすることはできないというべきである。

もっとも、右の点はいずれも損害の公平な分担の観点からは考慮されなければならないことであり、後記過失相殺事由として斟酌する。

(三) 右のとおりであり、被告の右反論はいずれも理由がなく失当である。

よって、被告は、本件転落事故に基づき松之助が被った後記損害を賠償すべき責任を有する。

三  進んで損害について判断する。

1(一)  逸失利益

二八六六万二一四一円

(1) 給与の逸失利益

二四四九万一七〇〇円

松之助には本件転落事故により相当の逸失利益の損害が見込まれるところ、証拠(甲一、二、三〇の1ないし3)によれば、松之助は死亡当時呉服販売を業とする秀粋に勤務していたこと、秀粋では定年を六五歳と定めていることが認められるので、右算定上の基礎年収を死亡時の五七歳から六五歳までは五六五万一四〇〇円、右以降六七歳までは賃金センサス平成四年第一巻第一表産業計全労働者の六五歳以上の平均年収額である三四一万一五〇〇円をもって相当と認め、生活費控除割合を右の間を通じて四〇パーセントとし、中間利息控除につきライプニッツ方式を採用して同人の死亡時における給与の逸失利益の現価を算定すれば、次式の算定に基づき二四四九万一七〇〇円と認める(一円未満については「少額通貨の整理及び支払金の端数計算に関する法律」に従い切り捨てる。以下同じ)。

ア 565万1400円×0.6×6.4632

=2191万5677円

イ 341万1500円×0.6×(7.7217−6.4632)

=257万6023円

ウ ア+イ=二四四九万一七〇〇円

(2) 退職金の逸失利益

四一七万〇四四一円

証拠(甲三〇の1ないし3、三一)によれば、松之助に対し定年時に支給される予定であった退職金は一〇二七万円であることが推定できるところ、これを逸失利益として現価計算すると、生活費控除割合を四〇パーセントとし、中間利息控除につきライプニッツ方式を採用し、次式の算定に基づき四一七万〇四四一円と認める。

1027万円×0.6×0.6768=417万0441円

(二)  慰謝料 二〇〇〇万円

本件転落事故当日のヨット遊びは松之助が部下の片桐と共に楽しむことを目的として企画された経緯が窺われること(甲七、一二、一四、一五、乙六、証人佐藤、被告本人)、前記認定の本件転落事故発生の経緯、松之助の年齢、家族構成その他本件に顕れた一切の事情を考慮すれば、同人が本件転落事故により被った精神的苦痛に対する慰謝料は二〇〇〇万円と認めるのが相当である。

(三)  葬儀費用 一二〇万円

松之助の葬儀費用相当の損害としては一二〇万円を認めるのが相当である。

(四)  したがって、松之助が本件転落事故により被った損害は合計四九八六万二一四一円と認められる。

2  過失相殺

(一) 前記認定の本件転落事故の発生経緯をみると、松之助が本件ヨットから転落し、死亡の結果にまで至ったことについては、以下に述べるとおり同人にも少なからぬ落度があったといわざるを得ず、損害の算定に当たってはこの点が相応に考慮されなければならない。

(1) 前記認定の松之助の本件ヨット経験によれば、同人は数メートルの波高の巻波が押し寄せている河口に向かっていくのであるから、経験上からも自船が波により予期せぬ不規則な大揺れを起こしたり、波を被ったりすることを予測し、これらの事態に安全に対応できるよう、船体にしっかりつかまる等転落防止の体勢を取り、また、転落した場合に備えて搭載されていた救命胴衣を着用するなどの対策を講じておくべき注意義務があったというべきである。

(2) ところが、まず、松之助の転落の原因をみると、ヨット乗船経験が初めての片桐及び松之助よりはるかに経験の乏しい萩原夫婦が座位を取り、手すり等の船体部分を握っていたことにより転落に至らなかったこと、これに対して松之助は第三波の押し寄せる直前まで直立し不安定な体勢を取っており、直後に座位を取ったものと推測されるものの、前記のとおり本件復原運動の際転落したものと推定されること等に照らすと、松之助は本件ローリングの過程で生じる不可予測的な船体の動揺に対する身体保持体勢が不十分であったものと推認せざるを得ない。

また、松之助は救命胴衣も着用していなかった(争いがない)。本件ヨットに搭載されていた救命胴衣は、発泡スチロールを浮体の材質に使用した型式L―六型の昭和五〇年六月製造(製造者東洋物産株式会社)のものであり、右救命胴衣は自力で泳ぐ際の補助道具程度の機能を有し身体に対する完全な浮力を有するものとは認められないが(乙七の1及び2、八、一一)、松之助は前記認定のとおり、転落後波にさらわれ、巻き込まれ、動転して大量の水を飲み、呼吸を阻害され、身体の自由の効かない状態の中で急速に体力を失っていったものと容易に推認されるところからすると、不十分ながらも浮力を有する救命胴衣の着用は松之助の体力の消耗を防ぎ、助命の一助となった可能性を否定し切れないというべきであるから、右救命胴衣の着用を怠ったことは松之助の落度として無視することはできないというべきである。なお、この点については、被告の着用の指示の懈怠が指摘されているが、前記認定のとおり理由がない。

(3) 右のほか、被告は松之助が転落後テトラポットに向かって泳ぎ、このため救助が遅延したことも同人の死亡に対する落度である旨指摘するが、前記のとおり、右行為を非難することは困難である。また、被告は本件ヨットの航行がそもそも松之助の希望によるものであるとか、河口への航路を採ることを黙認していたなどとして、これらの事情を被告の責任軽減若しくは過失相殺の事由として主張するが、右は前記認定の本件転落事故発生の経緯に照らすと、同人の転落及び死亡の直接的原因となるものとはいい難く、本件事案の衡平な解決という全体的考察の上で考慮されるのが、適当と解されるので、右の点は前記のとおり慰謝料算定に当たり考慮したものである。

(二) 以上認定の諸般の事情を総合して考察すれば、本件転落事故及び死亡結果の発生について、松之助には相応(四割)の過失相殺を行うのが損害の公平の分担の理念に適うというべきであり、右過失相殺により、結局松之助の被った損害は二九九一万七二八四円と認めるのが相当である。

3  損害の填補 七三一万円

秀粋から松之助の死亡退職金として平成四年一〇月二三日に合計七三一万円が支払われているところ、右は損益相殺として本件転落事故による損害から控除されるべきものである。

右によれば松之助の被った損害は合計二二六〇万七二八四円となる。

4  弁護士費用 一五〇万円

弁論の全趣旨によれば、原告らは訴訟代理人らとの間で本件訴訟追行を委任し、その報酬契約を締結し、右報酬相当の損害を被ったことが認められるところ、このうち本件転落事故と相当因果関係のある損害は本件事案の内容、難易度等を考慮し、一五〇万円をもって相当と認める。

5  以上によれば、被告は本件転落事故により松之助が被った損害総額二四一〇万七二八四円を賠償すべき義務があるところ、前記認定の相続割合に応じ、原告倶子に対し、一二〇五万三六四二円、同泰央及び同哲也各自に対し六〇二万六八二一円の損害賠償義務を負うというべきであり、原告らの本訴請求は右に認める限度で理由があるが、右を超える部分は理由がなく、失当というべきである。

四  よって、原告らの本訴請求は、前記認定の限度で理由があるからこれを認容するが、その余は理由がないから棄却することとし、訴訟費用につき民事訴訟法八九条、九二条、九三条、仮執行の宣言につき同法一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官藤村啓 裁判官髙橋光雄 裁判官堀内靖子)

別紙〈省略〉

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